ひでリウム・瑠璃色のサンクチュアリ

あらゆる自分を整える、魂の請願を叶える、体の声を聴く、自分の人生を創造する。

続・福生病院の透析中止の件で思うことを書いています。

東京・福生病院で起きた透析中止で患者死亡の件について書いていきます。

今回は「患者の選ぶ権利」についてのお話。

 

 

なぜ患者が治療や病院を選ぶ権利が言われるようになったのか。

それは、これまでの医療では患者に必要な治療は患者ではなく医療者が決めていたためです。

 

 

検査を受け、結果と治療方針について医療者(主に医師でしょう)から一方的に伝えられ、質問をしてもまともに受け取ってもらえず、患者が意見や希望を言っても汲み取ってもらえない。

 

 

そういう時代が長くありました。でも今でも一部残っています。

 

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先日行った研修、災害時の対応など

 

治療は誰のためにあるのでしょうか?

病気を治したいのは誰でしょうか?

 

 

言うまでもなく患者なのです。でもその患者の意思が治療に反映されてきていませんでした。

医療側の「医師が、病院が治してやっている」といった姿勢がパターナリズムを作り上げてきてました。

 

パターナリズム=強い立場にある者が弱い立場の者の意志に反して、弱い立場の者の利益になるという理由から、その行動に介入したり、干渉したりすること。一部引用元:看護師roo!より

 

 

ただし、患者側も「医療のことはわからないから医師にお任せするしかない」「医者なんだから、良いように治療してくれるはず」

「医者が治すのが当たり前、失敗しなくて当然」

といった側面があります。

 

もっと患者中心の医療を、と言われるようになり、インフォームドコンセント(説明と同意)が叫ばれるようになり、

患者側(健常者も含め)への啓蒙と医療者側の努力が長年続いてきました。

 

 

病状説明や治療方針については、医師以外の医療スタッフ(主に看護師)が治療方針等についての説明には同席し、手術や治療、検査などには同意書も用いて、患者と医師との対話を記録しカルテに残すといったことも当たり前に行われています。

 

 

それでもいまだに、パターナリズムはその傾向を残している施設はあるし、患者側は全部病院にお任せという意識が根強く残っています。

臨床で仕事をしているとまだまだあるなと感じます。

 

また、昨今患者がインフォームドコンセントの場で、テレビなどのメディアで得た情報に固執したり、得た情報を元に医療側に好戦的な様子で話をしたり、出来ない治療にこだわったり、といった状況も散見します。

 

 

医師は専門用語を使って早口で説明をする人がまだまだ多いし(そうじゃない人ももちろん多いです)、

患者は説明を聞いて頷いて返事をしているけど、あとで確認してみると「説明はさっぱり分からなかった」という人も多い。

 

 

今回患者側の課題として私が常々思っているのは、選ぶ権利があるということは、自分から積極的に「自分を知って、医療を学んでほしい」ということ。

 

 

自分の体です。かけがえのない、唯一無二の体ですね。

健康で生きていくために、何が必要なのでしょうか?

 

 

もし自分が病気になったら、どうなりたいのでしょうか?

 

どのように治療をしていきたいか?

それを考えるときに、みなさんは自分のライフスタイルや価値観を元に決めていくのではと思うのです。

 

仕事をまだ続けていきたい。

もしくは、病気をきっかけに生き方を見直して、こういう人生にしたい。

 

だから、こういう治療をしたい(または、したくない)

入院期間は短い方がいい。

時間がかかっても根治させたい。

 

 

色々な思いが自分の中にあるはずなんです。

 

 

自分がどう生きたいのか?

どのような人生を送りたいのか?

 

自分をどう扱っていき、何を大切に思っているのか?

自分が普段、何を感じ考えているか?

 

 

自分についてもっともっと知っていなかったら、

治療方針を選ぶことなんてできないんです。

 

 

そして、自分の方針と違うと感じたら医療機関を選び直してもいいんです。

患者の権利ですから。

 

 

 

そして、治療方法について心変わりがしたり、変更があってもいいのです。

揺れるのが人であり、生きているということです。

 

 

 

そんなわけで(長かった…)

福生病院での透析中止の件は、医師が透析中止の選択肢も含めて治療方針を提示し、透析中止を選んだ場合どのような結果となるかを説明し、同意書を取っているということで、これ自体に問題や事件性を私は感じてません。

(さまざまなニュースやコラムを読む限りでは)

 

 

ガイドラインに抵触するのでは、という話もありますが、

1番寄り添うべきは、ガイドラインじゃなくて患者にですよね?

 

 

死への選択があったことに反応する方は、死をタブー扱いしているからでは?と思います。

 

誰だって、この瞬間命がなくなる可能性を持っている。

人は誰でも最後には死ぬ。

 

 

死を思うことは、生を創造すること。

 

 

たくさんの人達が、

自分自身をもっともっと知って、より良い人生を創造していくように。

 

 

それが私の願い、想いです。

 

 

それではまた。