看護師ひのもりさん。の北7病棟記録。

看護師のひのもりさん。が、医療のお話をするブログ。ときどき日常のこととかも。

死にたくなったら深呼吸して、誰かに話をしてごらん。その1

まいどですー。


昨日は夜勤だったのでブログは休みでございました。
出歩くリスクの人3人もいるので気疲れハンパない(笑)
あと鼻に入れてる管を抜く人もいたんだけど、何事もなく終了でございました。


今日のお話はタイトル通り。
では元も子もないので、その理由とかあれこれと。

 

日本は自殺する人が多い。年間3万人くらいと言われています。
自殺する人の3人に1人は、誰にもなんにも相談しないで死を選んでいくのだそうです。

 

悩んで頭の中がグルグルして。
辛くて疲れて、答えが見つからなくて、苦しみが永遠に続く気しかしない。

 

「死のうとする気があるのなら、そのパワーでなんだってできるよ!」


そういう人もいるけど、なんでもやるパワーにはならないのよ…
グルグルして疲れ切っちゃってるから。

 

皆さんこういう経験はないですか?

 

悩みがあって、頭の中で色々考えても考えがまとまらず、もう手詰まり!になって、
ふと誰かに悩みをぽろっと話したら、

 

①相手が何気なく返事をした内容が大きなヒントになって、気力復活して問題も解決しちゃった。


②話した後に、今まで思いつかなかった(思い出さなかった)解決策がふと出てきた。


③話しをしたら、なんか気持ちが軽くなって「もういいかどうにでもな〜れ♬」と吹っ切れて、その後なんとなくいい方向に向かった。

 

共通してるのは、

言葉にして、外に向かって話をしてみたってこと。

 

私などはちょっと毛色が違うかもだけど、
探し物をしてて、どうやっても見つからない!という時に、


誰かに「ねえねえ、あれどこに行っちゃったかな〜見つからないよおおお(泣)」と話すと、
ほぼ高確率で探し物が見つかります(笑)

 

相手が探し出してくれるばかりではなく、誰も特別何かをしなくてもなんだかひょっこりと出てくるんだよね。
ほんと不思議!

 

そして、言うまでにちょっと勇気いるんだよね。


「これ言ったら他の人の耳にも入ったり気づかれたりするから、大ごとになったらどうしよう、やだな〜」とか、


「えっ無いの?!って問題になったり責められたり怒られたりしたらやだな〜」とか、

 

あるのですよ(笑)

 

でも黙ってそのままだと、問題は大きくなる。

 


死んでしまいたいほどの悩みと探し物を比較するのはどうかと思う意見もあるだろうけど、
でも本質はかなり似ていると私は思うんだよね。

 

話して、自分の中から外に出す。
そうすると、突破口が見つかる。

 

自分という宇宙の中だけじゃ、見つからないものはゴマンとある。


自分は無限にすごい!というのと、
自分はこれっぽっちの小さきもの、という矛盾が同時にあるわけ。

 

だから、人の宇宙を借りる。
人の宇宙と交流することで、自分の宇宙も拡がる。
そして、引き出しが増える。

 

逆に、自分は誰かの引き出しにだってなれる。

 


人のストレスのほとんどって人間関係だって言われてます。
だけど、本当の1人だけでは人は生きていけないとも言われてます。

 

人は、社会性のある生き物だからって。

 

人は無限の可能性を持ってる。
でも1人だけじゃ無限の可能性は使えないんだよね。

 

だから、話そう。言葉にしよう。

生きて。あなたの才能を世の中に発揮しよう。

 

そして何かやることだけが才能じゃない。

 

ただそこにいるだけで、才能だし存在意義がある。

そういう人もたくさんいる。

 


ということで今日はこれにて。
まだまだ続くよー!

 

死ぬ権利、の権利にいつも引っかかる。

どもこんにちはー。
ブログ復活でなぜか緊張しているひのもりです(汗)

まーたフェードアウトだったらどうしよう〜とかね(笑)

 

で、医療の話ほぼメインでやっていこうと思っているので、
最近あった出来事のことでも。

 

ASLに罹患していた女性が医師2名に安楽死を依頼して殺害されたという嘱託殺人事件。
ニュースに対しての意見書き込みは、

 

「女性の気持ちわかる」
「医師を罪に問わないで欲しい」
「日本も尊厳死が認められたらいいのに」

というのが多い印象。


こうした事件は今回が初めてでもなく、世間では安楽死尊厳死の話題は何度となく出てきている。

この手の話は、答えはないだろうし、これからも答えが出てくることもないだろう。

 

外国人の安楽死を認めて受け入れてるスイスだって、あれこれ議論は続いているのですよ。
そりゃそうでしょうね。これ知ってホッとしたよ私は(笑)

 

私だって、誰かだって、状況が変われば、価値観が変われば、
今思う「これ」という考えだってすぐ覆るだろう。

 

こういう話でいつも引っ掛かりがあるのが、
死ぬ権利の権利ってなんなのさ。なのです。

 

死ぬ権利なんて、いつからあるの?
死ぬ権利って、誰もが持ってるの?

 

死ぬ権利とか聞くと、なんだかそれ自体がすごい凶器に感じるんだよね。
一方的に周りを切り裂き回るみたいな。

 

そう感じるの私だけ?

 

権利なんて牙をむかれると、
権利なんて無いよ。って言いたくなる。

 

病気、難病に罹った人はこれまでに関わってきたことはある。


医療従事者のほとんどは、命を救いたいという気持ちで日々仕事をしてるのではと思うんだよね。


臨床だけじゃなくて、研究職の病理医とか、そういった人達も日々そういう気持ちで仕事してると思うんだよね。

 

意味のないように見える延命に反対する医療従事者だっている。
今回嘱託殺人として逮捕された医師たちとかも。

 

その人たちだって、命とは何か、生きるってなんだろうとか、
そういう葛藤を抱えながら仕事してきたんだ思うんだよね。


病気に罹った人から「死なせろ!」と言われたら、どう思う?フリーズする?
だけど、その言葉をそのまんま受け取らずに、本人も気がつかない奥の何かを探し出す、

 

それが医療従事者に求められていることじゃないかな?
あ、医療従事者じゃなくても、必要だね。きっと。


とにかくまあ、
「権利」って聞くととっても引っかかるのでありました。

 

そんな権利、あるのかなって。


ではー。